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新学期を迎えるにあたって
- 2019年04月04日
- 勉強に対するモチベーションは色々あると思います。
ただ単に、成績が良いと気分がいいから。あの子には勝ちたいから。
先生に認められたいから。異性にモテたいから(笑)。
人それぞれ。色々な理由があって良いと思います。
ただ、いずれもその場限りのモチベーションだと思います。
先生がいなくなったら。競争相手が居なくなったら。社会人になって成績自体無くなったら。。
勉強しなくなるのでしょうか。
勉強とは本来そういうものではありません。
人間が本来持つ、知識欲。生きるための手段。文化的な生活を送る為の手段
だと思います。
文明を持つ以前の人類も、様々な勉強をしたと思います。
動物の狩りの仕方。どうしたら、上手く作物を生育できるのか。どの食材が安全か見分ける力。どのように調理したらより旨くなるのか。
生活により直結した知識や能力を身に付ける必要があったでしょう。
高度に文明が発達し、複雑化した社会で生き抜くには、更に勉強量が必要になります。人間は様々な利便性を享受できるようになった反面、
より快適性、安全性を追求するのに必要な勉強が必要になったのです。
大昔と違って、知る者と知らざる者。使いこなせる者、使い方すら知らない者。
勉強をした者と怠けて人生を歩んできた人とでは人生の豊かさ、便利さ、安全さ
に大きな差となって現れる時代となってきています。
絶対とは言えませんが、しっかり勉強して高い能力を身に付けた者は、
正しい情報を手に入れやすいです。また、怠けてきた人より収入が高くなります。
収入が高ければ、様々な余暇を楽しむことができます。また、収入が高いと
結婚しやすくなります。経済力が無い人より、経済力がある人の方が本人は
元より、両親も結婚に賛成しやすいからです。
やがて歳をとって病気になった時、高度な治療が受けられます。
自分の力では生活ができなくなった時、高い能力のあるスタッフが居る
最新設備の整った快適な施設に入所できます。
このように学生時代も含め、学校を卒業してからも、読書や勉強を続けた者は
娯楽系テレビやゲーム、パチンコなど、その場限りの快楽に興じてきた者よりは
遥かに楽で、安全で快適な生活が待っていることでしょう。
さて、話を元に戻します。
新学年を迎えるにあたって、よく考えて欲しいのは
勉強は誰の為にするのかということです。
先ずは自分の為、そして、やがてする結婚相手の為、
更に、生まれてくる自分の子供の為、あるいは、お世話になった両親の為。
勉強しないで怠けていれば、自分が不幸になります。そればかりでなく、
周りに居る人も不幸にします。不幸は連鎖します。怠け者の親の下に育った子供は
やはり怠けます。その子供も怠けます。またその子供も。。。
親がしっかり勉強して裕福な家庭に育てば、ちゃんとした教育が受けられます。教育がしっかりなされれば、
高度な教育で高度な知識、技術を身に付けられます。そして収入が高くなります。収入が高ければ、またその子供に。。。
お金持ちにはお金が集まる原理と似ています。
負の連鎖を断ち切る為にも、平等に与えられた教育機会、義務教育の下、しっかり勉強しなければいけないのです。
(世界には教育を受けられない子供が沢山居ます)日本は世界にも稀な、庶民の教育レベルが昔から高い民族です。
寺子屋で読み書きそろばんが普及していた頃(江戸時代)の諸外国は、貴族やほんの一部の人しかちゃんとした教育を受けられませんでした。
日本に比べて識字率は非常に低かったのです。
ペリーが日本にやってきて驚いたのは、その教育レベルの高さです。
伊能忠敬が作成した精密な日本地図や、蘭学を学び前野良沢・杉田玄白が翻訳した解体新書に驚いたと言います。
当時、欧米諸国は東南アジアやアフリカを侵略し植民地化していました。
最初は東アジアの端にある小国、日本も最初は相当なめられていました。
黒船で砲艦外交すれば一発で属国にできると。
そんな小国日本が明治維新を成し遂げ、急速に欧米諸国に追い付けたのは世界の奇跡であり、自国としての必然でした。
庶民レベルまで普及していた教育。欧米を視察して帰ってきた当時のリーダー達。とにかく、勤勉な民族だったからです。
もし、そのような祖先が居なかったら、欧米諸国に植民地にされ、奴隷のような扱いをされていたかもしれません。
現代社会において、私たちが他のアジア諸国より安全で、長寿で、生活水準が高く、経済的に豊かなのは、先祖が勤勉だったお陰です。
綿々と引き継がれてきたこの勤勉さを、更に孫の孫の代まで継承しなければなりません。
話が大きくなってしまいましたが、そういったことも頭の片隅に入れておいてください。